今から142年前の今日(5月23日)、飯能で戦争があったそうです。
「飯能戦争」は慶応4年(明治元年=1868年)5月23日、
羅漢山(現・天覧山)にある能仁寺を舞台として
「振武軍」と「維新政府の官軍」の間で起きた戦争です。
振武軍:500人 対 官軍:3,000人。
勝敗の行方は最初から目に見えていたこの戦争。
少し詳しく調べてみました。
振武軍とは、徳川幕府最後の将軍・慶喜が
一橋家の当主だったころに仕えていた渋沢成一郎を頭取とした軍です。
渋沢成一郎は当初、天野八郎たちと主君である慶喜の
“大義ヲ天下ニ彰明センコトヲ誓フ”
として「彰義隊」を結成しましたが、
天野八郎率いる彰義隊過激派と分派して振武軍を結成しました。
飯能が戦争の舞台となった理由は、
飯能付近に「一橋領」が17カ村もあって物資の調達に便利なうえ、
秩父や奥多摩の山地と相接触する地点であり、
三方とも”天然要塞”に囲まれた地勢が有利と考えたためとされています。
戦争によって飯能は大きな災害を受けながらも、
一橋領であったこともあり、
負けを覚悟で主君の名誉挽回のために戦った振武軍に同情的で、
「ああ、振武軍」の歌や踊りが今も伝えられているそうです。
放射線科 M・H
※「飯能戦争」については飯能市役所ホームページの「民話」や
飯能郷土館(入場料無料)、
舞台となった能仁寺で詳しく知ることができます。